早朝ちょいポタ [小栗街道]

左脚の痛みで当分は峠に上れそうもないので、ここ数週間は平地のポタリングを続けている。今日はどこに行こうかと思いつつ、TORACLE-COZ(CARACLE-COZ RB試作フレーム)で6:30すぎに出走。脚が保つなら少し山手に向かうことを考えつつ南方向に進んでいるうちに、信太山付近にやって来た。

ここで思い出したのが以前試乗会でお会いしたみかん先生さんが、最近葛の葉稲荷神社にお参りしたこと。テック・ワン(CARACLE製造元)の所在地松原市が狐に縁が深いことも教えてくれていたが、合わせて挙げられていたのが葛の葉姫だった。

181028_073550走っていた府道30号線からそれほど遠くなかったので、立ち寄ってみた。鳥居の脇には「信太森神社」の石柱があり、こちらが正式名称とのこと。

181028_073608落ちぶれた豪族の安倍保名が狩人に追われた狐を助けたところ、狩人との争いで傷ついた保名を女人に化身した狐、葛の葉姫が介抱しそれが縁で夫婦になった。二人の間に生まれたのが、かの有名な陰陽師安倍晴明であるという。

181028_074054安倍晴明は、人間と(神である)狐のハーフだったという伝説だ。狛犬の代わりに社殿の前に構えているのも、当然狐。

181028_074202葛の葉の正体がばれ、去り際に残した「恋しくは たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみくずの葉」が記された碑の奥には、楠の御神木が立っている。

樹齢二千年を超えるこの巨木は根本から二股に別れているため夫婦楠とも云われ、縁結びの霊験あらたかとのこと。

181028_074356境内には安産、子授けのご利益がある「子安石」や、交通安全・旅行安全のご利益のある「姿見の井戸」、そして千利休の作と伝わる「梟の灯篭」などもある。

181028_073338神社近くには和泉市が立てたと思われる近辺の観光案内ルートを記した案内板もあり、これを機に今日は小栗街道(=熊野街道)を辿ってみることにした。

先週の富田林街道に続いて二週連続の旧街道を巡りだが、こちらは案内板に記載されていただけでも多数の歴史的遺構が散在している。

181028_074842まずは小栗街道に戻る途中にあった旧府神社。境内には猟師に追われた白狐が隠れた(あるいは化けた)と伝わる「白狐化石」が置かれていた。

181028_075158小栗街道に戻って、中央寺。鎌倉時代の中尾寺を起源に持つ古刹とのこと。

181028_075406篠田王子跡の案内板の脇には、聖神社の鳥居が立っていた。案内板の散策ルートはこの鳥居のある東方向に向かうようになっているが、案内板には聖神社が記載されておらず、場所がわからない。このまま小栗街道沿いに進んだ方が多くの史跡があるようなので、先に進んだ。後で調べると聖神社は和泉五社のひとつで重要文化財指定も受けている。こちらも立ち寄るべきだった。

181028_075914小栗街道沿いにある地蔵堂? と思ったら、宣札場(高札場)の跡とのこと。これも先日の台風の被害なのか、瓦が一部損傷している。

181028_080008宣札場は八阪神社の鳥居の脇にある。同社は旧南王子村(八坂町)の鎮守社として文政年間に造営されたとのこと。

181028_080208八阪神社の反対側には笠かけ松、腰かけ石がある。 

浄瑠璃や歌舞伎で知られる小栗判官と照手姫は架空の人物だが物語の中で熊野街道を辿ったことから、小栗街道とも呼ばれるようになったとのこと。

とは言え、正直なところ私も若い頃には知らなかった物語であり、荒筋だけを聞くと死んだ主人公が蘇って許嫁と結ばれるという話が突飛すぎて、もうひとつ入り込めない。もともと架空の物語だけあって、時代を経るに従って色々な脚色が加わって、定説がないのもわかりにくいところだ。入り込みやすい小説やマンガにしたものはないものだろうか?

その先の「明けの坂」と「後鳥羽院歌碑」はウロウロしてみたが見つからず。「後鳥羽院歌碑」は結構大きなもののようだが・・・。

181028_081342方光池公園の近くで平松王子跡発見。石碑以外は何の痕跡も見当たらない。

181028_081754公園の中に「方光池灯篭」らしきもの発見。しかし、説明が記してあったと思われる台の上には何かが剥がれた跡があるだけ。

この記事によれば、灯台の役目を果たした300年前のものらしい。

181028_082322小栗街道から少し西に寄り道して伯太神社。

674年創建と伝わる古社で、応神天皇など10柱の御祭神を祀っている。

181028_083238返す刀で小栗街道を通り過ぎ、反対側の坂を上っていく。急坂の途中に、旧伯太藩武家屋敷の石碑。

181028_083446そのまま上り切ると、丸笠山古墳の石碑が立っていた。

右手の小山が古墳なのかと思ったが、実はそれはほんの一部で、正面の道の奥の方に後円部がそびえていた。

181028_084806再び小栗街道に戻り、南下を続ける。これまで、旧街道と入ってもほとんど現代風の民家が並んでいたが、府中町付近では趣のある旧家が散見できるようになった。

見栄えのする建物があったので止まって撮影したら、大阪府のウェブページでも同じ家を掲載していた。

181028_085220少し先の公園に和泉国府跡の石碑を発見。公園内にはもっと大きな石碑も立っていた。

181028_085554公園の反対側に少し入ると、泉井上神社

神功皇后の新羅出兵の折に立ち寄った当地で一夜のうちに湧いた霊泉を祀ったもので、これが和泉国の名前の由来になったとのこと。

181028_090250鳥居の前にあった和泉市の案内板にもその旨が記されているが、勧請されている和泉国五社として、大鳥、穴師、積川、日根と共に先程立ち寄らなかった聖神社が上がっていた。やはり立ち寄らなかったのは失敗。

181028_090638小栗街道に戻り、井ノ口王子跡で府道30号線に合流した。手短だが台湾出張の準備も在るので、今日はここで引き返すことにした。

181028_093010帰路はほとんど府道30号線を北上したが、帰りがけの駄賃に等乃伎神社に立ち寄った。こちらはユニークなおみくじやお守りが多種あることで知られている。

181028_093336本殿前だけでも、「ゲゲゲの鬼太郎おみくじ」「三角みくじ」「扇子おみくじ」等々が並び、お守りは約100種類あるそうだ。

今日は挨拶がてらの手短かな参拝のみだったが、じっくり見てみるのも面白そうだ。

181028_094002ついでに、大鳥大社に立ち寄って締めにしようと、鳳付近で小栗街道に入った。熊野街道(=小栗街道)の解説が記された案内板が地車車庫の隣りにあった。

181028_094536商店街を抜けて、JRの踏切を渡るとほどなく大鳥大社。今日は鳥居前で撮影だけして小栗街道を辿るポタリングの締めとした。

これまでもつまみ食いをすることはあったが、周辺までじっくり回ると小栗街道のほんの一部でもこれだけ史跡がある。もっと先まで進んでみたいが、このペースでは何日かけても大阪を脱出できそうにない(^_^;)。

本格的に辿ってみるなら、大阪府の歴史街道ウォーキングマップを参照しながらポイントを絞って走るのが良さそうだ。脚が復活するまで、こんな旧街道巡りに力を入れてみようか?

 

■コースマップ

■#relive

relive181028
Relive ‘早朝ちょいポタ [小栗街道]’

 

■本日の走行記録(自転車)

cyclemeter181028CyclemeterGPSの記録
 スタート: 2018/10/28 6:37:30
 自転車完了: 2018/10/28 9:58:37
 バイクタイム: 2:00:11
 停止時間: 1:11:11
 距離: 26.02 km
 平均スピード: 時速 21.93 km/h
 登り:  31 m
 カロリー: 376 kcal
 平均心拍数:  88 bpm
 最大心拍数: 133 bpm
 平均ペダルペース:  55 rpm
 最高ペダルペース: 125 rpm
 今月の走行距離:  606 km
 今年の走行距離: 6870 km
 先月の走行距離:  373 km
 昨年の走行距離: 8853 km

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これまでのコメント

  1. […] 上り続けてほぼピークに来たところで、10/28のポタリングで参照した和泉市の案内看板を発見。10/28はモデルルート通りには辿らず、小栗街道を走って少し横にずれただけだったので、このあたりは未走行。 […]

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