峠トレ再開 [千早峠(金剛トンネル)-南大阪サイクリングフェスタ]
先週末は土日ともにお仕事(サイクルモードライド大阪出展)で、自転車ライドはお休みだった。この冬は手術跡を冷やさないように平地ライドに徹していたが、3月に入ったのでいよいよ峠トレーニングを再開しよう・・・と思っていたら最低気温2度の予報。これは堺の平地の気温なので、峠の上は氷点下の可能性もある。ちょっと悩んだが、日が昇ると一気に気温が上がる予報でもあり、手術跡の経過も悪くないので予定通り千早峠(金剛トンネル)に上ることにした。
ノリクラ(全日本マウンテンサイクリングin乗鞍)のエントリーも終えて、気合も入ってきたのか、起床や準備もスムーズで、6:40にはTORACLE-COZ(CARACLE-COZ RB試作車)で自宅を出走した。意気込んで出走したものの、気温は低いし、どうも脚が重い。二週間ぶりとはいえ平日も通勤ライドでそれなりに追い込んでいるが、このところ雨で乗れない日がが多かったせいか、調子が上がらない。
国道310号線に並走する西高野街道で河内長野方面に向かい、少しでも調子を上げようと河内長野駅近くのコンビニでコーヒーでカフェインを注入。気温は低いようだが3月の日差しには力があり、日なたは結構暖かい。
石川を渡る諸越橋から国道310号線を千早峠(金剛トンネル)に向けてアタック開始。初っ端から信号に相次いで引っかかる幸先の悪い展開に、まだまだ序盤の観心寺交差点で温度計が1度を表示する寒さも、下りを思うと気が重い。
今日は心拍160bpm付近にキープする抑えめの目標としていたが、リズムの悪いスタートに、スムーズに回らない脚と重い身体で、ペースコントロールも思うようにいかない。緩急が変化すると心拍数が上下に大きく振れて、ギクシャクした走りが続く。久しぶりのヒルクライムだから予想通りではあるが、先が思いやられる。
反面、身体が思うように動かないからこそ、普段はあまり意識しない筋肉の動きを意識することができた。シッティングとダンシング、そして腰の位置やペダリングの仕方で、力の入る筋肉が大腿四頭筋(前腿)なのかハムストリングス(後腿)なのか、把握しながら身体の動かし方を考えることができた。元々ダンシング主体という効率の悪いヒルクライムスタイルの私だが、CARACLE-Sでスズカエンデューロに向けた平地トレーニングで大腿四頭筋(前腿)で踏み込むペダリングにも取り組み、どんどんサドルが前に出ていった。同時に峠のタイムも縮んでくるというプラスの相乗効果が生まれていたので、その方法を突き詰めていった。
ところが、昨年CARACLE-COZに乗り始めてから、ヒルクライムで身体がスムーズに動かないことにもどかしさを感じている。COZの圧倒的な軽さがタイムを縮めてはいるのだが、ハンドリング特性が異なるのでいまだにダンシングがギクシャクする感じが抜けない。ノリクラで一層のタイム短縮を狙うなら、COZに適した走法を身に着けていくべきだろう。
具体的な変更点のひとつは、シッティング比率を高めること。何を今さらという基本中の基本だが、ダンシングはやはり効率の悪い走法。格好つけて「ダンシングが自分のスタイル」と見栄を切っていたが、元来の貧脚に加え、腰痛で力強く踏み込むペダリングができないので、やむなく多用するようになったのが本当のところ。腰痛発症から12年を経過し、踏み込むペダリングでも痛みを感じなくなっているので、この機に基本に回帰することを考えている。
もうひとつはまだ迷っている段階だが、ハムストリングス主体のペダリング。大腿四頭筋はパワーを出せるが持久力が劣り、ハムストリングスはパワーは低いが持久力が高いという、これまた基本中の基本。ここ数年は大腿四頭筋を強化することでヒルクライムでもタイム短縮を実現していたが、これは自分でも意外な結果。本来、ノリクラのような長時間のヒルクライムを目的とするのに、この方法は賢い選択ではない。イーブンペースを意識して以前より改善しているとは言え、やはり毎年終盤で大幅にペースダウンしているので、持久力の向上は重要な課題だ。ハムストリング主体の走法は理にかなっているが、ポジションからペダリングテクニックまで全てを見直す必要があるし、終盤のペースダウンは高高度の酸素不足も間違いなく原因のひとつ。今年結果を出すことに繋がるかは疑問も残るので、しばらくは比較を続けて検証してみるつもりだ。
旧街道帰省ライド [長尾街道-東高野街道]
パゾコンの設定を頼まれ、今日は枚方市の実家に行くことになった。7:00過ぎにTORACLE-COZ(CARACLE-COZ RB試作車)で自宅を出走したものの、まっすぐ向かうのも面白くない。最近、実家の近くを東高野街道が通っていることに気付いたので、それを辿ることを思いついた。まず、金剛生駒山系の山麓を走る東高野街道までどうやって辿り着くか? ついでにアプローチにも旧街道を辿ることにして、あまり遠回りにならない長尾街道に白羽の矢を立てた。
どうせなら長尾街道の起点からスタートしようと、堺市中心部へ。最低気温の予報は7度と先週までに比べればずいぶん暖かい。ウェアも少し薄手にして、アンダーも1枚のみ。カイロも省略したが、さほど寒くはない。チンチン電車の走る大道筋にたどり着いたが、ここも旧街道である紀州街道の一部でもある。
長尾街道は紀州街道の堺戎之町、今のザビエル公園(戎公園)近辺が起点とのこと。
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが滞在した豪商日比屋了慶の屋敷跡につくられ、公園開設の1949年がザビエル来航400年であったことから、命名されたとのこと。
長尾街道は古代には大津道と呼ばれた官道で、最古の官道である竹内街道の北側に整備され、堺からほぼ真東に伸びている。7:40頃起点を出発し、堺の中心部を抜けて堺東駅の北側で南海高野線をくぐる。
地下道入口前の看板にあるように、ほどなく先日もお参りした方違神社があるが、今日は素通り。
この先は自動車進入禁止の商店街。旧街道は自動車やオートバイでは通過が困難な一方通行も多く、徒歩か自転車でないと辿れない箇所がよくある。もっと言えば、先ほどの地下道のように自転車ですら乗車して通れないこともある。こんな時に6kg台のCARACLE-COZなら気軽に押し歩きできる(というか、わざわざ通路端のスロープを押し歩くより、ひょいと担いで階段を上り下りしてしまう方が楽)。この冬はロードペダルでなく、SPDペダル&シューズなので、歩くのも苦にならない。
時間に制約があるので、あまりのんびりとはしていられない。時間の制約があるので、できるだけペースを上げて走ったが、交通量がそこそこ多いので道端に道標や祠を発見しても急に止まれない。通過したところが多かったのが残念だが、堺市内はいつでも再訪できるだろう。
20分ほどで市境を越えて松原市に入り、西除川を渡る。すぐに、近鉄南大阪線布忍駅南側の踏切を渡る。職場に近いこの辺りは通勤で通ることもある勝手知ったるエリアだ。
松原市役所の南側を過ぎてすぐに、ちちかみはしと刻まれた道標とそれを解説するモニュメントが立っている。そばの郵便局に立ち寄る際に通るので、今まで何十回と前を通過していると思うが、じっくり見るのは実は初めて。
授乳時に愛児に乳房を噛み切られて亡くなった母親の悲しい伝説が残る地とのこと。亡くなった母親と愛児を祀る歯神社が、松原駅の南にある柴籬神社に合祀されているので、次の機会に訪ねてみよう。
モニュメントには長尾街道は近鉄電車が通るまで栄えたとの記述もあり、並走する近鉄との縁も感慨深い。
松原駅のすぐ北側の阿保茶屋(あおんちゃや)。市役所など近辺の町名にも阿保の地名が残るが、こちらは「あお」と呼ぶ。元々は平安時代の阿保(あぼ)親王が干ばつに苦しんでいた当地に「親王池」を作ったことに因むらしい。同じ漢字を色んな読み方をしているが、なんとしても「あほ」「あほう」と読むのを避け、にんべんのない「阿呆」と混同されないようにしていると感じるのは私だけだろうか?
阿保親王は歌人在原業平の父親とのこと。最近始まった日経新聞夕刊の連載小説の主人公が業平であり、縁を感じる。
長尾街道と中高野街道が交わるこの地は古代、中世から往来が多かったのだろう。交差点付近には地蔵堂と共に、近代の日露戦役記念碑や昭和天皇の即位を祝った碑や満州事変の忠魂碑なども立ち並んでいる。一番手前には現代の公共掲示板も立ち、今も続く重要地点ぶりを伺える。
中高野街道を南に1kmちょっと進めば、今度は竹内街道と交差する。松原が古代からの交通の要衝であったことが認識できる地だ。
聖地巡礼 [阪神甲子園球場としまなみ海道]
先週の息子の合格祈願の寺社巡りの後は、調子の上がらない中で寒中を無理したせいか、右足がしもやけで腫れ上がり、肩の痛みも強くなって数日間苦しい思いをした。今週末は今日しか休みがないし、自転車ライドは休止しようかとも思ったが、体調も少しマシになっているし、先週ほどは寒くないようだ。少しでも自転車に乗っておこうとは決めたが、今日は北西のち北の風とのこと。東の奈良方面に向かおうが、南の泉州方面に向かおうが帰路は向かい風になる可能性が高い。西は海だ。仕方ないので、今日は市街地の北西方向に向かって走ることにした。
7:00過ぎにTORACLE-COZ(CARACLE-COZ RB試作車)で自宅を出走し、まずは北に向かって針路を取る。曇りの予報だったが、良い方にずれたようで、雲は少なくかなり日差しがある。
大和川を渡る大和橋の手前、阪堺電車が来るのを待ってパチリ。
阪神高速堺線の高架下を北上していると、CHERUBIMのロードバイクに乗った方に追いついた。先に東に曲がっていかれたが、私がなにわ筋まで東にずれたらまた出会った。
ペースが同じくらいなので信号待ちの度に少しずつ話をしたが、この方は西成在住で、今日は仲間と新大阪で集合して嵐山まで走るとのこと。私の方は適当に阪神方面に向かっているが、国道43号線は自転車は大きな川を越える橋でスロープへ迂回させられるので、国道2号線で進むつもりだと伝えたところ、阪神高速の下をそのまま進んだ方がよいのでは? と教えていただいた。地図で見ると確かにその方が距離も短縮されるので、帰りはそちらを使わせてもらいますとお返事した。
新福島駅付近で私は左折して国道2号線に入り、直進するその方とお別れ。淀川大橋で新淀川を渡って、西淀川区に入る。
神崎大橋を渡ると佃地区。神崎川と左門殿川に挟まれた中洲の島だが、この佃村の漁民は徳川家康の窮地を救ったことで特権を与えられ、一部は江戸に移住した。移住先は故郷と同じ名を付けた、佃島。この地で製造されて広まったのが「佃煮」だ。
江戸移住前から住吉大社への供物として小魚の煮付けが作られていたとの説もあり、とすれば東京名物である「佃煮」も実は大阪がルーツということになる。
閑話休題
左門殿川を渡って兵庫県に入り、阪神尼崎駅を過ぎたところで左折し、出屋敷駅付近の通過して南下。国道43号線も越えて、県道341号線に入る。この県道は西高洲町で方向転じるので、そのまま西進。これより南は橋がないので自転車が西進を続けられる道は(尼崎市内には)ない。
南武橋で武庫川を渡って西宮市に入る。昼までに帰宅するとなるとそろそろ折返しを考えないといけないのだが、ここまで来たら寄りたいところがあった。
大阪湾の最も海寄りは、阪神高速湾岸線が人工島を繋ぐように通っている。当然のことながら自転車は通れないのだが、鳴尾浜から西は県道573号線が湾岸線の側道として走っている。この県道に自転車歩行者道があり、鳴尾浜-甲子園浜-西宮浜-南芦屋浜-深江浜と自転車で渡ることができるのだ。
人工島を繋ぐ橋の様子から本州四国連絡橋 尾道・今治ルートにあやかって「阪神しまなみ海道」と呼ばれるこのルートは、お得意先のRush Eyeさんに置かれていた阪神しまなみ海道と阪神間湾岸地域のサイクリングマップで知った。今日は定休日だが、ちょっとだけ寄り道して鳴尾にあるお店の前でパチリ。
阪神しまなみ海道の橋をひとつでも渡ってから折り返そうと、南下して鳴尾浜へ。
いきなり「(船舶衝突事故により)西行進入できません」の看板に、出鼻をくじかれた。幸い、自転車歩行者道の入り口はもう少し西よりにあった。
急坂のスロープを上って橋に上がると、県道脇に歩道が作られている。かなり上らされただけあって、六甲山系や阪神間の街並みを見下ろす絶景が広がっていた。これは、夜来てもキレイそうだ。
頂点を越えて降りていくと、甲子園浜。海浜公園沿いの歩道は松葉が大量に散乱して少し走りづらい。橋の北側に自歩道があるため右側通行になり歩道通行をせざるを得ないのだが、西から来て人工島内は車道を走るようにした方がよさそうだ。
合格祈願寺社巡り [堺・中河内]
今日は息子の私立高校入試日。私立はほぼ合格が確実な高校を受験しているとは言え、息子にとっては自分自身で進路を選ぶ初めての機会だ。勉強のことから志望校選びまでヨメさんに任せっきりだが、今日くらいは息子の合格を願って寺社巡りをすることにした。まあ、どうせ右肩の痛みが悪化して、この週末も追い込んだ走りは難しい。
7:20過ぎにTORACLE-COZ(CARACLE-COZ RB試作車)で出走。まずは自宅近くの家原寺へ。奈良の大仏建立を主導した行基の生誕地で、知恵を司る文殊菩薩のご利益で知られている。
本堂の外回りに合格祈願のハンカチを貼り付ける風習があり、私達も正月にハンカチを貼り付けてきた。
もう一度ダメ押しのお参りをしようかと思ったが、開門は9時とのことで門外からお参りして先に進んだ。最低気温は3度とまだプラスの予報だったが、日差しがない事もあって、かなりの厳寒装備なのに寒さが堪える。ペース上げて走ってもさっぱり身体が暖まらない。
堺中心部に北上して、二番目に訪れたのは船待神社。学問の神様菅原道真公が大宰府に下る途中、船を待つ間に祖先を祀るこの社を参拝したとの伝説があるそうだ。その後、道真公も合祀して塩穴郷からこの地に移ったとのこと。
菅原道真といえば梅の花を愛したことで知られ、「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」と歌いかけた愛木は公を慕って京都から大宰府に一夜で飛んだという飛梅伝説があるほど。梅の花は道真公を祀った各地の神社(天満宮、天神)の紋にもなっており、画像後ろの神輿庫にも梅の紋が描かれている。
この神社の境内にも梅の花があったが、まだちらほら咲き。見頃はももう少し先のようだ。
本殿で受験合格・学業成就を祈願し、堺市中心部をもう少し北上。
三番目のお参り先は菅原神社。菅原道真公が太宰府で彫った木像が堺の浜に漂着し、それを祀ったのが始まりとのこと。
先ほどの船待神社に続き、学問の神様菅原道真公を祀っており、学業成就のご利益があるとのこと。
画像奥の楼門(仁王門)は1677年に再建されたもので、大阪府指定有形文化財になっている。
泉州行き当たりばったり
大腿骨骨折痕の痛みとその対処としてのチタンボルト除去手術、そして約20年ぶりのインフルエンザ感染、そして四十肩の悪化と、この秋冬は体調を崩すことが多く、この数週は自転車に乗っても思うように身体が動かない。
昨日土曜日が出勤だったので疲れもあり、今日は休みたい気持ちもあって準備に手間取ったが重い心と身体にむち打って、何とか7:15ごろにTORACLE-COZ(CARACLE-COZ RB試作車)で出走。手術跡を冷やさないよう峠上りは避けているが、平地ライドは風の影響が大きいので毎回コースに悩む。北風が続いて奈良方面ばかりだったが、今日は西のち南よりの風とのことで、久しぶりに南に進路を取った。
南に向かう平地ライドとは言っても新旧の国道26号線は走って楽しい道ではなく、ひとまず真南に向かって、途中からやや西よりに進路を取って信太山を乗り越え、あまり海寄りまで降りないように適当に南西に進んでいく。槇尾川を渡る橋では朝日が上流方向から差して眩しい。午後から雨の予報だが、今はまだ良く晴れて冷え込んだが空が澄んで美しい。
旧街道の風情がある間道を進むうちに和泉市から岸和田市に入り、コンビニでコーヒーを飲んで、重い身体に活入れ。
久米田池の堰堤にぶつかり、水をたたえた風景を期待して堰堤に上って 見ると、一面の泥の海。冬場はため池の水を抜いて、魚を獲ったり、補修する掻い掘り(かいぼり)が行われる事が多いが、大阪府最大のため池の水が抜かれていると壮観だ。
池端の久米田寺に寄ってみた。久米田池を作った奈良時代の僧、行基が池の維持管理のために建立したと伝わる古刹だ。
今日は節分なので行事があるのだろう。早朝から人の出入りが多い。寒い中でも桜のつぼみが膨らんできているのが立春の前日を感じさせる。
コーヒーのカフェインで少しは脚が回り出した気もするので、岸和田の丘陵地帯のアップダウンを乗り越えながら、さらに南西に進んでいく。