さらば猛虎弐號
昨年はあまりに色んなことがあってすっかり時期遅れの話題になってしまった。昨年夏に実家が引っ越したので、残していた私物を整理するために、何度か足を運ぶことになった。大学時代に使用していたランドナー「猛虎弐號」のフレームも、20数年ぶりに屋根裏から引っ張り出した。
このランドナーフレームは、1990年に東京両国のいちかわにオーダーしたもの。完成した時点では黄色一色だったが、すぐに黒いプラスチックテープを貼り付けて、初めてのオーダーフレームを、いきなり下品なカラーリングに仕上げた。
完成直後はこんな仕様だった。ランドナーと言っても、ブレーキレバー以外のコンポはすべて当時最新のMTBコンポ「シマノ製デオーレXT」を採用した。ちょっと上りになるとインナーになかなか落ちないフロントディレーラーや、雨の日は下ハンで渾身の力で握りしめてもさっぱりスピードの落ちないカンチブレーキが当たり前だった時代に、確実な変速と強力なブレーキで旅の道具としての実用性を高めてくれた。
ハンドルもブラケットポジションが狭いランドナーバーを嫌ってロード用のマースバーを採用し、マッドガードに装着したリフレクターにボタン電池とLEDを仕込んでワイヤレステールライトを自作したのは、当時としては先駆けだったと思う。ミノウラ製のアルミ製リアキャリアはカラーに惚れ込んで採用したが、これはすぐに溶接部が外れてスチール製に入れ替わった。何でも新しいものが良いわけでもなかった。
MTB用のシートQRを採用し、輪行やダートを下る際に素早くサドル高を調整できるようにした。ダブルボトル仕様にするためにポンプペグをシートステイに設けた。
シートステイにプーリーを装着できるようにダボを設けてもらい、輪工時に後輪を外してもクランクを動かせる仕様にした。
私は当時から日帰りランではサドルバッグを使用してフロントキャリアを外していた。そのため、前フォークの右側にダボを設けてもらい、トモダ製ヤジロベーでライトを装着できるようにしていた。
伝統にこだわらずに最新パーツを取り入れる一方で、ブルックスの革サドルB17スタンダードや、後輪のCIBIE製リムドライブダイナモとセンター位置のフロントライト、フラップ付き本所製フルガード、ワイヤー上出しのノーマルブレーキレバー、RB661輪行ヘッド、日東キャンピーといった輪行を多用する旅行に適した伝統は継承した。タイヤはいざとなったらママチャリ用タイヤを流用できる650A(26x1-3/8)。
長期休みに長期ツーリングに出るときはこんな装備。派手なフレームにタイガース応援旗をたなびかせて走るものだから、出会った人は一発で憶えてくれた。春に四国で会った人に、夏に北海道で再会した時も、「顔は忘れても自転車は忘れない」と言われたり……。まあ、やってることは30年経っても、ほぼ同じだ。
大学2年生から2年半ほどの付き合いだったが、日本各地を走り回り、数々の思い出を共有した自転車だ。サイドバッグをつけた重装備で未舗装路をしばしば走ったりと酷使したせいか、チェーンステーのフタにクラックが入ったので引退し、フレーム状態で保管していた。
現役の頃はタイガースの最下位しか経験していない自転車だったので、「もういちど優勝するまでは……いや、日本一になって一緒に美酒を飲むまで処分はできない」と言っていたが、まさか完成から33年も日本一から遠ざかるとは思わなかった(笑)。
2023年6月に実家から引き取ってきた時点で、タイガースの成績に関わらず処分の潮時だと思っていた。とはいえ、逆にタイガースが好調だからこそ「優勝まで」「日本一まで」待ってみようという気になった。ここまできたらこいつに日本一を見せてやりたいし、先に処分して優勝や日本一を逃したら、「猛虎弐號を処分したせい」と一生悔やむことになりそうだからだ。
しばらく勤務先で保管していたが、タイガースは最終的に2023年11月5日に38年ぶりの日本一を決めた。学生時代の思い出が眼の前にあると気持ちが揺らいだが、もはや再活用することはないだろう。未練を断ち切り、金属再生業者に引き渡して別れを告げた。
猛虎弐號、たくさんの思い出をありがとう。今は画像だけだが、君のことは一生忘れない。