2007乗鞍参戦記

【旧ホームページから、修正の上で転載したものです】

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■雑誌『ファンライド』掲載

ファンライド10月号に私の勇姿(?)が掲載されました
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フォトギャラリー

自分で撮影した画像です。

※本ブログ、及びフォトアルバム(フォト蔵)に掲載の画像に差し障りがありましたら、ご遠慮なくお知らせください。速やかに対処します。

オールスポーツコミュニティ

大会公認写真サイト。私自身はNo.0884、No.2979、No.2982、No.2983、No.2984、No.2985、No.5542、No.5544、No.6357、No.6358、No.10207、No.10208、などで発見。

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■デジタル・サンギャラリー (リンク切れ)

大会公認(その2)。私自身の掲載は見つけられませんでした。

 

■信州ふぉとふぉと館

販売サイトではありませんが、毎年たくさん撮影されてます。私自身は25日Cの1ページ目_DSC0166、_DSC0168、26日Pの1ページ目_DSC0183に掲載いただきました。


信州ふぉとふぉと館

 

■『乗鞍』公式記録(リンク切れ)

『第22回全日本マウンテンサイクリングin乗鞍』大会リザルト MSPO掲載の公式記録
 私は「ロードレーサー男子 D」ゼッケンNo.1727でした。

 

■ハッスルチャレンジ (リンク切れ)

ジム通いを欠かさず、私なんかとはレベルの違うトレーニングを積んで、今年は1時間18分台をたたき出したHKくん。同じ寿屋さんに宿泊する、お仲間です。

 

むらよし裏日記

筑波大サイクリング部のOBむらよし氏撮影のルートビデオ(リンク切れ)を掲載。
むらよし氏がトップチューブにビデオカメラを取り付けて撮影されたもの、地図と連動した映像は臨場感抜群。何とランドナーで参戦しながら、むらよし氏のタイムは1時間16分余。並み居るロードバイクをぶち抜きまくる爽快な映像です。
ちなみに、私のハッピ姿が2分44秒近辺に映っています。そういや、第1チェックポイント手前で、ランドナーが私の後ろに数秒貼り付いたと思ったら、次の瞬間スゴい勢いでぶち抜いていきましたっけ。今思えば、私の姿をカメラに納めるためだったのかもしれません(自意識過剰か?)。

 

■参加レポート

 今年もよく晴れました。

 「晴れ女」のヨメさんが同行するようになったこの3大会は、見事に晴れが続いている。「雨男」の私だけが参加していた、それ以前の4年間は曇り→晴れ→嵐(中止)→曇りのち雨、とわずか1回しか晴れていない・・・来年も、絶対ヨメさんを連れていこう。

 さて、今年も大阪から約9時間掛けて乗鞍に乗り込んだ。休憩の多い子連れでは、どうしても時間がかかってしまう。到着したのは14:30ごろ。早速、自転車を組み立てて出場受付と車検(センサーチェック)を済ませた。例年のごとく、この時点ですでにタイガースハッピを羽織り、六甲颪を流しながらだ。

 ここで早くも長野放送の取材を受けた。「今年も来ましたね」と話しかけられ、「腰を傷めたけど、完走目指して頑張ります」といった調子で受け答え。

 受付を終えて、出店で買い物をしようと思っていたが、サガミサイクルやOD BOXなどの有力店は会計するのにスゴい行列。早く仲間と合流したいこともあって、早々に宿に向かった。

 毎年お世話になっている宿は「寿家」さん。すでにほとんどの仲間が到着しており、私が着くとすでに宴会準備中・・・。色んな大学のサイクリング部出身者やNEC府中サイクリングクラブ、そしてその友人や家族がどんどん繋がって、いつのまにかひとつのグループになってしまった。今年は仕事の都合や、抽選に漏れた人もいたが、13人がエントリー。応援に来ている(?)人も合わせ16人が宿に集まった。

 夕食を挟んで22時ごろまで壮行会(?)が続き、とてもレース前夜とは思えない膨大なアルコール類の空容器が並んだ。近況や昔話に花が咲いたが、中でもメンバーの一人が雨の日にブレーキシューが削れて流れる黒い液体を『シュー汁』と表現したことに、皆が大受けした。経験のない方には何が面白いのかさっぱりわからないでしょうが、メンバーの多くが大学サイクリング部出身で、雨でも走行を強いられる機会が多かったことから、この表現が強い実感を伴って共有できたのです。

 当日は朝4:00起床。レーパンの上から腰痛ベルトで締めて腰を固めた。一か月前に腰痛に襲われ、リハビリ通いを続けて激症は収まったが、ある程度からさっぱり改善しない。全身を使ったダンシングなど、気遣いせずに身体を動かすと、鋭い痛みに襲われる症状は、結局当日まで改善しなかった。

 元々関節が弱く、トレーニング時にもしばしばヒザなどの痛みに悩まされてきた。仕事や日常生活でも肩や腰にヘンな負担を掛けないように気をつけていただけに、今回の腰痛はショックだった。重ねて、前週からヒザもギクシャクしており、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えている状態。

 おまけに大会前週に転倒して、顔、肩、腕、腰、脚に合計10箇所のすり傷と打ち身を作ってしまった。情けないことにトレーニング中の落車ではなく、本番に備えた整備のチェックで近所を流していたときに、すっ転んだのだ。新品の極細タイヤのグリップ力を見誤り、何てことのない曲がり角で前輪がグリップを失った・・・。全く満身創痍だが、何とか当日までこぎ着けた。

 朝食は5:00から。前夜さんざんバカ話をしていたのに、肝心のスタート地点までの移動の段取りを話し合っていなかったので、その場で皆に希望を聞いた。

 何と、今年は13人の出場メンバーのうち、11人は自走でスタート地点に向かうつもりとのこと。みんな朝から元気だ。私も腰を痛めるまでは、「今年はアップを兼ねて自走しようか」とも思っていたが、今はムリはしたくない。なにせ、番所大滝の少し上にある寿屋さんからスタート地点に向かうには、いきなり10%越えの坂が立ちはだかり、標高200m近く登る必要がある。仲間内で使い古された言い回しだが「アップどころか、アップアップになってしまう」のがオチだ。

 ともあれ、M輪と車で5:50頃宿を出てスタート地点に向かった。6:00過ぎには旅館民宿組合の指定駐車場に停めて自転車を組み上げ、ゴールで受け取るバッグ(防寒着、軽食など)を運搬バスに放り込んだ。そうこうするうちに、自走組が三々五々到着した。

 例年になく早くスタート地点に着いたため、結構前の方に陣取ることができた。グループの後の方になると、下手をすればスタートラインを通過するまでに1分くらいはロスする。スタートまで2時間近く待つことになったが、例年になく暖かく、周りの仲間もレーサージャージだけでも寒さを感じていないようだった(私は、タイガースハッピを羽織っていたので暑いくらい)。

 7時から開会式が始まったが、原稿棒読みのお偉いさんの挨拶はご愛敬として、ゴールの畳平の気温は例年なら考えられない20度近い暖かさとのこと。数年前は一桁の気温だったことを思うと雲泥の差だ。今年は乗鞍にしては珍しく暑さとの戦いになりそうだった。とは言え、激暑の大阪でトレーニングしていた私にすれば、可愛いものである。

 さて、長い待機の後、いよいよ私の一般男子D(オレンジ)が8:02にスタート。今年はゴールラインを十数秒もかからず通過できた。同時に六甲颪を流し始める。周りから失笑が漏れ、声を掛けてくれる参加者も何人もいた。昨年までは携帯電話に外部スピーカーを接続していたが、今年は専用のMP3プレーヤーと、出力の大きなスピーカーを用意した。

 スタート直後は比較的緩い傾斜で、周囲もかっ飛ばしている人が多い。私も例年は低標高(酸素の濃い)うちにタイムを稼いでおこうと、序盤はペースを上げる。だが、今年は体調が体調だ。まだ脚に余裕はあるが、ハートレートモニターで負荷をなるべく一定にして走る。今回は最大心拍数の80~85%(156~163拍)を目安にしてみた。LSD(最大心拍数の60~75%)より二段上の「糖消費・出力向上」レベルとなる。このくらいなら腰への負担もさほどではない。

 スタート直後や国民休暇村近辺にはギャラリーも多く、「タイガース頑張れ!」の声援が励みになる。やや傾斜がキツイ区間を通過して、三本滝駐車場のあるスキーゲレンデに出ると急に傾斜が緩くなる。ここが第1チェックポイント。別に通過をチェックしている様子はなく、要は給水所だ。例年は混雑してタイムロスや事故が恐いので素通りするが、今年はかなり気温が高いのでボトルの飲料だけに頼らず、紙コップを受け取ってアクエリアスをノドに流し込んだ。

 第1チェックポイントを通過すると、また傾斜がキツくなってくる。やがてコンクリート舗装の急坂が出現・・・するはずだったが、今年は真新しいアスファルト舗装になっていた。とは言え、傾斜のキツさはそのまま。毎年、女性や初心者が、より急傾斜のカーブのイン側を走ってしまい、登りきれずに力尽きて転ぶシーンを見かける危険箇所だ。ピッタリ後ろに着いていると巻き込まれかねないので、前を見ながら慎重に登る。例年より軽い前26T×後24Tの超反則ギアを装備していても、あまり急傾斜に腰に鈍い痛みが走る。少しでも傾斜の緩いカーブの外側を貼り付いて走った。

 そして急傾斜の坂が続く冷泉小屋近辺のつづら折りに入る。この辺りが最も平均勾配がキツイ区間だろう。カーブを曲がる度にどんどんと高度が上がり、次第に高い木が消えて周囲の視界が開けてくる。この辺りから少し傾斜はマシになるが、森林限界を突破した高度では酸素が薄くなる。高標高での耐性には個人差が大きいようだが、私の場合、心肺にかなり負担がかかる。「ゴールまで5km」といった看板も目に入るが、ここで調子に乗ってスパートなんかした日には、500mも走らずにノックアウトだ(経験済み)。ハートレートモニターをにらみつけるが、腰痛ベルトで締めつけているせいか、心拍数は下がり気味なのに、息が苦しくてなかなかペースを維持できない。

 苦しみながらもゴールは徐々に近づいてくる。景色も最高のはずだが、毎年見る余裕がない。カメラマンも何人も居て、参加者を撮りまくっている。上記のオールスポーツコミュニティやデジタル・サンギャラリー、各報道機関、そしてアマチュアカメラマン。旧知の雑誌ライター大前さんの姿もあった。私は格好が格好なので、レンズを向けられることが多い。できる限りはポーズを取りながら、笑顔で撮ってもらう。すでにヘロヘロなので、かなりしんどいが、(勝手に)コミックエントリーした身の義務だろう。

 勝手コミックエントリーと言えば、私以外にも毎年恒例になっている、「猿の着ぐるみ+ママチャリ」「セーラー服(の中年男性)」「ネクタイ姿のサラリーマン+小径車」の参加者は抽選をくぐり抜け、今年も健在。例年、クラスやスピードが違うのでなかなか会えないが、今年は珍しく3人とも私の走行中に見かけることができた。

 今回は中盤から、腰痛以外にわき腹にもピクピクといういやな感じが走った。以前もわき腹通のために途中で大幅にペースダウンをしたことがあったので、冷や汗ものだった。いきなり身体を動かしたせいだろうか? ストレッチはしているつもりだが、やはりアップが必要なのかもしれない。走りながらのマッサージと、呼吸が荒くなりすぎないように気をつけて、何とかしのいだ。が、終盤になって左ヒザにも軽い痛みが走り出した。こちらもトルクを掛けすぎないようにペダリングに気を遣い、とにかく前進を続けた。

 さて、身体中の不調に苦しみながらやっとのことで標高2720mの畳平にたどり着き、ゴールイン。タイムは1:45:30と、自己記録を約10分下回る過去最悪の記録だった。今回は完走できただけでも、幸いとしなければいけないだろうが、やはり悔しい。来年は体調を万全にして雪辱を、と単純に思えないのが40歳間近の身体。若い頃と違ってがむしゃらにトレーニングをすれば、すぐ故障してしまう。身体と相談しながらのトレーニングはとてももどかしいが、色々考えてみよう。

■今年の走行記録
 平均心拍数:159
 最大心拍数:174
 心拍数ターゲットゾーン:132-165 (本番用)
 ターゲットゾーン内時間:1:24:44
 ターゲットゾーン以上時間:0:20:08
 ターゲットゾーン以下時間:0:02:39
 消費カロリー:1289
 走行距離:18.7
 平均速度:10.4
 最高速度:25.1
 平均ケイデンス:78
 最大ケイデンス:113
 走行時間:1:47:26
  ※ハートレートモニターの記録ですので、公式記録とは異なります

 ゴール地点は参加者を絞り込み、誘導も改善されたためか、例年よりスムーズに移動、休憩ができた。穂高連峰もはっきり見える晴天。やはり気温が高く、防寒着を着込まなくても平気でいられるのは初めての体験だ。同宿のメンバーを待っていると、例年通り中継カメラのスタッフさんが声を掛けてきた。スタート地点でレースの様子を放送しているが、この所毎年ゴールインタビューされている。「好調の阪神に負けないように頑張りました」「来年はもっとパワーアップしたいと思います」とお答えした。下山しようとする参加者に声を掛けるというシチュエーションなので、そのまま下り始めた。

 前週に転倒して、新品タイヤのグリップ力のなさを思い知っているので、いつになく慎重に下っていたが、しばらく下ったところで、前輪から「プシュー」と音がしてパンク。登りで無くてよかったが、やはり超軽量タイヤ&チューブは弱い。コーナーを攻めるような走りをしていたらすっ転んでいたかもしれない。チューブを交換するうちに同宿メンバーが追いついてきた。「あっ、久行さん」とメンバーの一人の声がしたと思ったら、次の瞬間「プシュー」という音がした。私の姿を見て急ブレーキを掛けたはずみに、なぜかパンクしたらしい。「久行さ~ん。(自分がパンクしたから)マキビシ撒いたでしょ」とは彼の弁。巻き添えパンクに、皆の笑いが湧いた。

 毎年ことながら、私以外にもパンク修理をしている参加者を何人も見かけた。一度は、目の前で「パーン」とバーストして転倒する人もいた。幸い前が詰まってスピードが出ていなかったので、大きなケガはなかったようだ(すぐに起き上がって道路脇に避けていた)。今年は怖々とだが、1時間近い超ロングダウンヒルを終えてスタート地点に戻り、記念撮影。

 今回は同宿のGくんがクラス5位に入賞し、表彰式に出ることになった。当然我々も見に行くことになる。急いで宿に下ったが、昼食を食べる暇はなく、簡単な身支度だけでスタート地点に戻った。ちょうど到着したときに表彰式が始まり、チャンピオンクラス、そして年齢・性別・車種別の各クラスの表彰が続く。やがてGくんのクラスの表彰があり、彼も表彰台の前に並んだ。乗鞍からの帰路が長いので、例年は(自分や知り合いが出るわけでもない)表彰式を見る事もなく乗鞍を去る。今回初めて見たが、仲間が表彰されると嬉しいものだ。

 彼のクラスの表彰が終わりGくんが仲間の元に戻ってきた。同宿メンバーの多くを占める大学サイクリング部出身者の間では、おめでたいことがあれば『イノコ』だ。これは餌食になった人の手足を皆で持って持ち上げ、空中で上下に振るという荒業だ。「イノコ、イノコ、イノコモチついて、繁昌せえ、繁昌せえ」の掛け声と共にGくんの身体が宙に舞った。

 今年も無事(?)ノリクラが終わった。宿で昼食を取った後、来年の再会を約して、メンバーたちが乗鞍を去っていった。後で聞けば、道路が例年になく混んでおり、首都圏のメンバーの帰宅は深夜になったそうだ。ちなみに、我が家はこの機会にもう一泊することにした。その後の話は、こちらで。


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