明日香ロングライド [大和川-明日香-穴虫峠]
本日は本来土曜出勤日なのだが、9/20の御堂筋サイクルピクニックに出展した代休をもらった。出展の応援に来てくれていたFさん共々走りに出ることになったが、夕方には社内ミーティングなどもあるので勤務先出発&帰着で明日香を目指した。
自宅を7時過ぎに出走して、まずは勤務先へ。私はCARACLE-Sで、FさんはCARACLE試作車で、8時過ぎに同僚の見送りを背中に再出発した。
私のヒザ痛もだいぶ良くなってきたが、念のため今日も本格的な峠を避けたロングライドコースを立案。
まずは先日の帰省ライド同様に大和川北岸を遡る。低気圧と前線に挟まれ、「曇り」の天気予報だったが晴れ男のFさんの威力か、次第に晴れ間が多くなってきた。と言って、雲ひとつないカンカン照りではないので、自転車ライドに最適な雲模様だ。
府県境付近の亀の瀬が、今日一番キツい傾斜の上り坂。痛みのない右足主体でクリアして、峠八幡神社のバックはすっかり青空。
奈良県に入った三郷で歩行者自転車専用橋を渡って大和川南岸の王寺町に。引き続き川沿いに走ると、続いて河合町に入り、前方に沈下橋(潜水橋)が見えてくる。
増水時には水に没する沈下橋は、大阪近郊では珍しい。水の流れを妨げないように欄干がなく、川面までの距離が近いので自転車で通ると面白い。
ここは初めてというFさんに先に渡ってもらい、土手上から撮影。続いて私も久々にこの橋を渡りまた大和川北岸へ。
御幸大橋(新御幸橋)を渡っておくべきところをうっかり行き過ぎ、富雄川沿いに遠回りしてしまったが、(旧)御幸橋で大和川を渡って再び南岸へ。
支流の曽我川沿いの自転車道に入り、続いて県道36号線で横滑りして飛鳥川沿いの自転車道に入る。後はこの川をひたすら遡っていけば明日香村に到達できる。
各河川沿いの自転車道は、周辺の草が伐採されたばかりで走りやすいところもあれば、両側から草が生い茂ってかき分けるように進まなくてはならないところもあった。路面も表層のカラー舗装が剥がれて砂が浮いたようになっていることもあり、川の右岸左岸をジグザグ進むので、案内看板を見ているだけでは迷うところもあった。
奈良県内は自転車道の整備が進み、ありがたいことなのだが、正直なところ、並走する一般道の方が走りやすいケースも多い。自転車道は作るだけでなく、利用者目線の改良や、定期的なメンテナンスが重要だということ。この辺りが改善されるともっと素晴らしいのだが・・・。
橿原市に入ると、歴史的な街並みで知られる今井町の入り口を通る。ここも見物したいところだが、今日は素通り。
次第に懐かしい雰囲気の田園風景が周囲に広がりだし、10:20過ぎに明日香甘樫の丘の麓に到着。
まずは飛鳥坐神社をお参り。家内安全と商売繁盛などのご利益ありとのことで、ご加護をお願い。
境内には籠に囲まれた「力石」が置かれており、男子は左手で持ち上げると幸福が掴めるとのこと。当然二人共しっかり掴んできました。
有料の飛鳥寺や酒船石前を素通りして南に向かう。伝飛鳥板蓋宮に立ち寄ると、周囲を田畑で囲まれた一角に礎石が並んでいる。往時はここが日本のの中心だったというのが、信じがたいのんびりした風景。
石舞台古墳を見下ろすベンチでひと休み。周囲を生け垣で囲っているが、入場料を払わなくても実はここから丸見え。
続いて、棚田で有名な稲渕へ。青空に白い雲、広がる黄金色の稲穂に朱の曼珠沙華(彼岸花)と、色の対比が美しい。
毎年できるだけ秋には明日香を訪れることにしているが、今回は曼珠沙華の朱も加わった良いタイミングだった。
今日の一番の目的である案山子路(かかしロード)へ。田んぼの間の峠道に何十ものユニークがかかしが立ち並ぶ、明日香稲渕の名物だ。
この時期土日はごった返すものだが、今日はまだマシ。恐らくは連休の直後なので、遠出する人が少ないのだろう。
たくさんのかかしが立ち並ぶ中でも、ひときわ目を惹くのがこのジャンボかかし。多くの人が足を止めて記念撮影していた。
田んぼの途切れる峠付近までまだまだかかしは並んでおり、終盤近くに「案山子路」の看板。
かかしが途切れるとすぐに切通しの峠があり、反対側のコンクリート舗装の急坂を下っていく。今日はウォーキングイベントが開かれており、普段は人通りの少ない峠のこちら側も、歩いている人がたくさんいた。人通りが意外に多いことに加えて、道幅が狭く、路面が湿っており、落ち葉も積もっている箇所も多いので、最徐行で慎重に下っていく。
ところが、坂の途中で後方で叫び声が聞こえ、「ガシャーン」という音が響いた。Fさんが、苔むしてぬめった路面で前輪が滑って転倒したのだ。スピードは出ていなかったとはいえ、右半身のあちこちに擦過傷ができて、自転車のハンドルやブレーキレバーの位置がズレてチェーンも外れた。
取りあえず走れる状態にして、近くの健康福祉センターたちばなに向かった。浴場「太子の湯」を核にした施設で、以前ここで食事を摂ったことがあった。
施設前で自転車を再チェック。ブレーキのアジャスターが変形し、ディレーラーなどに傷ができたが、大きな変形は破損はなく、安全に走行できそう。
続いてFさんのケア。風呂には入らなかったが、傷を洗って私が携行していた消毒薬を塗布。肩やひじ、腰に擦り傷はできたが、すでに出血は止まり、骨や関節に大きな異常はなさそう。まずはほっとした。
ついでに施設内の食堂で昼食を摂った。観光客より地元住民が多いのか、「飛鳥定食」「亀石セット」といった観光メニューはなく、一般的な料理が中心。私はうどん定食680円。値段も味も可もなく不可もなくの、一般的なもの。静かな雰囲気で、ある意味明日香っぽい。ごった返す食事処で行列するのがイヤな方にはオススメだ。(入ったことはないが)入湯料も500円と安い。ただ、男女1時間交代とのことで、ちょっと不便か。
事故の後なので、あまりウロウロせず、念のため早めに帰路につくことにしたが、通り道とも言える遺跡はついでに立ち寄り。まずは亀石。
そして、鬼の雪隠。古代にこんな巨石を加工し、運搬したことに、あらためて驚かされる。
これで明日香散歩はお終いにし、北上。帰路は往路のように自転車道で大回りせず、距離が短い一般道を進んだ。
橿原神宮前。こちらもいずれきちんとお参りしたいが、今日は鳥居前で撮影のみ。
幸いなことに、Fさんの体調や自転車に深刻な問題は無いようだった。だが、前ブレーキのセンターがズレやすく、リムにブレーキシューが当たるトラブルが何度も起きたことと、チェーン外れが起きやすくなった。その度に止まって調整。
奈良盆地をできるだけ短い距離で横断していき、金剛山地が近づいた当麻寺駅近くの踏切を渡った際に、Fさんの自転車が何度目かのチェーン外れ。
折しも目の前は中将餅本舗の店舗前だった。これは中将餅を食べていけというお告げだろうと、入店して中将餅と煎茶のセットをいただいた。
「中将堂本舗の中将餅(よもぎ餅)は、当麻の里に昔から伝わる掌大のあんつけ餅を一口の大きさにし、牡丹の花びらを型どったもの」で、よもぎの苦味とたっぷりのあんの甘さがマッチして美味。
店内にもテーブルがあるが、中庭に出るとコスモスなどの花や庭木が飾られ、伝統的な調度でリラックスできる。急須いっぱいの冷たいお茶も、汗をかいた身体にありがたい。これで300円は安い。
しばしのんびりしてから再出発したが、すぐに相撲館「けはや座」に立ち寄り。
初の天覧相撲を行った當麻蹶速に由来して、相撲発祥の地を名乗る葛城市の施設。サイクルラックも置かれて、自転車でも立ち寄りやすい。Fさんはケガにもめげず、仕切りにテッポウ(^_^;)。
帰路は當麻から穴虫峠を越えた。府県境にしては低い峠で、並走する近鉄南大阪線もトンネル無しで越えていく。ここでちょっと追い込んでみたが、左ヒザの痛みは感じなかった。この調子なら、来週からは峠ライドを復活させてもよいだろう。
後は大阪平野に下って、勤務先に向かう。石川を渡って竹内街道を進み、16時前には勤務先に帰着した。
自宅と勤務先の往復を合わせれば、今日も100km超ライドになった。一人で走るより気合が入り、いいトレーニングにもなったし、やや静かな秋の明日香も堪能できた。
とは言え、プランニングした人間として事故発生は反省材料。危険を予知してスピードを落としていたので大事には至らなかったが、先を走る私がもう少し慎重に走って、路面状況に注意を呼びかけていれば防げたかもしれない。
幸い、Fさんは事故後も意気軒昂。一夜明けてケガの写真が送られてきたが、すでに薄皮が張って治りかけている? この人の身体の鍛え方もスゴいが、回復力も人間離れ(^_^;)。あっという間に、私を越える走力を身に付けつつある。
■コースマップ
・ルートラボ http://yahoo.jp/StXwPn
■本日の走行記録(自転車)
Cyclemeterの記録
スタート: 2015/09/26 7:10:10
自転車完了: 2015/09/26 20:20:52
バイクタイム: 7:14:13
停止時間: 5:56:11
距離: 106.51 km
平均スピード: 時速 14.72 km/h
登り: 294 m
カロリー: 3958 kcal
平均心拍数: 115 bpm
最大心拍数: 178 bpm
平均ペダルペース: rpm
最高ペダルペース: rpm
今月の走行距離: 667 km
今年の走行距離: 5121 km
[…] そう言えば、2015年9月にここを訪れた時は、同僚F永さんと一緒だった。実は右のF永さんの自転車が、CARACLE-COZの初期試作車。アルミ製でフレーム形状も全く違うが、折りたたみ位置は同じだ。紆余曲折を経てカーボン製で発売されたCARACLE-COZは、お陰様で多くのユーザーに愛されるモデルになった。スタッフ自らが試走を積み重ねるという努力(?)の甲斐があったというものだ。 […]